夏目漱石

関連本


こころ

夏目漱石

青空文庫


2002・2023/6/9(再)


吾輩は猫である
夏目漱石
講談社

 

2021/11/6
昭和63/3/21 発行
   永遠のロングセラーになった漱石の処女作。苦沙弥という英語教師の家に拾われた猫は、その一家と先生の友人たちや近所の人の姿を冷静に観察する一方、美しい飼い猫に恋したりと、忙しい。(上)

 人間や社会を鋭く、暖かく観察。風刺とユーモア、未来への警句。(下)

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読んだことがあるような、無いような・・・・
文豪の本は知っているようで知らない・・・・・
今回は、少年少女日本文学館 を選んで読んでみた。大人だから注釈がなくても分かる部分もあれば、今時は使わない言葉が多く、注釈が有り難いとも感じた。

    


草枕

夏目漱石

新潮文庫



2019/3/22

1906年 「新小説」に発表
 智に働けば角が立つ、情に棹させば流されるーーーーー春の山路を登りつめた青年画家は、やがてとある温泉場で才気あふれる女、那美と出会う。俗塵を離れた山奥の桃源郷を舞台に、絢爛豊富な語彙と多彩な文章を駆使して絵画的感覚美の世界を描き、自然派や西欧文学の現実主義への批判をこめて、その対極に位置する東洋趣味を高唱した、小説家としての初期の名作。〔裏表紙の紹介)

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 「草枕」を読もうと思ったきっかけは半藤一利「老骨に悠々閑々」を読み、言葉散歩として、難しいが味わい深い言葉の紹介がしてあって、読んでみたいと思ったのだ。やはり難しい!
 
 同じ頃に書いた「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」が読みやすいユーモア小説であるのに比べ、この「草枕」はなぜにこんなに難しい言葉を使ったのか。新しい試みか。
 芸のかぎり、学のかぎりをつくしている。圧倒的教養と知性の上に築かれた「言葉の戯れ」読み手の語彙力が試される、というか、全く辞書を引かねば意味がとれない情けなさ。
 
 登場人物たちとのやりとりと、文学論、芸術論が交互に書かれている。
 那美との会話の中で、小説とはどこを開いてどこでもいいから読んでいい気分になればいい、と言ったりしている。だからなのか、ストーリーに展開がない。出会った那美と何かが起こるわけでもない。
 ただ、漱石自身が書いた当時とは考えが変わっていった気配もある。晩年に門下生に問われて「あれには辟易したね。第一あの文章に・・・・・・・読んでいくうちに背中の真ん中が変になってきて、ものの五ページとは読めなかったね」と答えたりしているので困ってしまう。

 物語を楽しむというよりも芸術論について考えさせられたり、小説の新しい形に挑戦した漱石について考えたり、俳句や難しい漢詩について・・・・・・解説のお世話になりながら学ぶことができた。

 どうまとめたらいいのか、わからないなあ。



虞美人草



それから



三四郎

2003


坊っちゃん


老骨に悠々閑々

半藤一利

ポプラ社



2018/12/8

2015/7/13 発行

85歳にして、いまなお旺盛な執筆活動を続ける半藤一利氏。その創作の傍らには版画がありました。資料を読んだり原稿を書くことに疲れたりすると、版木に向かい、気持ちをリセットしていたそうです。打ち合わせでご自宅にお伺いしたときに、アトリエから持ってきてくださった秘蔵の版画の数々が実に素晴らしく、多くの方に見ていただきたいと思ったのでした。

 本書は「昭和」を描く作家として知られる氏が、博識と教養を駆使して近代文学、文化についてユーモラスに論じた書き下ろし原稿と単行本未収録の随筆、それに数々の版画が彩りを添えた永久保存版の一冊となりました。

 なんと言っても秀逸なのが、言葉遊び。夏目漱石や芥川龍之介、樋口一葉のあざやかな啖呵(たんか)をひきあいに出し、「語彙を豊かに、バシバシ重ねてやらないと」と喝采を浴びせ、昨今の紋切り型表現の多用や言葉狩りの風潮を風刺します。(編集者の言葉より)

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第三話「漱石『草枕』ことば散歩」を読んで、漱石の作品を味わうには、和漢の古典、特に漢文や漢詩の教養が必要なのだなと改めて思う。

「草枕」を読まなくちゃ、そのときにはこの本を傍らに置いて

 版画作品もなかなかの味わいがある。


孫が読む漱石


夏目 房之介


実業之日本社




2006/4/23
 文豪の家に生まれるというのは、荷が重いものなのだろう。反発もしたのだろう。それでもやはりしっかりと向き合わざるを得ない人として、漱石の作品について語っている。
 身内にしかわからない漱石の息子、つまり房之介さんの父上の高等遊民ぶり、母上の苦労ぶり、悪妻といわれた鏡子夫人の大きさも語られる。
 
 『坊っちゃん』は、わかりやすい、もしそれが「わかりにくく」なっているとすれば、読者の読解力が落ちているというより、文体、修辞のスタイルが、時代、媒体により、移り変わっているからだ。これは『坊っちゃん』を難なく読める年配世代に現代マンガを読ませても、頭痛がするほど難解である事と同じ、とマンガ評論家らしく解説されて面白い。
 

 「何か」、がおきそうでおきない『三四郎』、おきてしまう『それから』に続き、おきてしまった過去のおかげで何もおきてほしくない夫婦の何もおきそうもない小説。それが『門』なのだ。これもなるほどと思った。
 『明暗』の会話は長い。誰でも日常やっているのと同じように長く、いつも俺やってることじゃん、という感覚。それを「面白い」と感じれば、読む価値はあるだろう。一方で、今さら自分がいつもやってることを、わざわざ深刻で言葉遣いのむずかしい昔の小説で読んでもなあ、という率直な感想もありうる、と述べている。
 こんな感じで漱石の作品について、他の人とは一味違う感想を読んで楽しませてもらえた。



漱石を知っていますか
阿刀田高
新潮社



2019/4/
2017/12/20 発行
 はっきり言って小説のヘタなこの人が、なぜ「国民作家」と呼ばれ続けるのか? 小説の体をなさない「吾輩は猫である」、不親切な「門」、女性軽視が際立つ「こころ」、バランスに欠ける「彼岸過迄」。―― 多くの難点を抱えつつも一世紀以上読者を魅了してきた作家の真の凄さとは。漱石は常に新たな小説表現に挑み続ける文学の冒険者だった主要13作の手法・文章・創作者心理・完成度を作家の目から徹底解説。(Bookデータベース)

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漱石俳句探偵帖
半藤一利
角川選書



2019/4/
平成11/11/30 発行
 日本近代文学を代表する作家、夏目漱石は多くの俳句を残している。そのうち、明治36年(1903)にロンドン留学から帰国し、大学や高等学校で教鞭をとりながら、小説を書きはじめたころからの句作を通して、漱石の人となりとおなじみの小説の背景を探る。『坊っちゃん』のお清のモデルはだれか、『草枕』はなぜ“俳句的小説”なのか、『虞美人草』を書くときの漱石の意気ごみやいかに。また、謡曲をうなり、飯蛸に目がない文豪の好ましい一面をのぞかせる。“歴史探偵”が案内する俳句と文学の軽妙かつ痛快なエッセイ。

 洒脱な文体と俳味あふれる作品世界の陰で、漱石先生はどんな顔で俳句をひねっていたのか。句作を渉猟し、史料を駆使して、漱石先生の名作の背後にある心象風景を見つめる、知的刺激に満ちたエッセイ。(Bookデータベース)

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