司馬 遼太郎



歴史と視点
〜私の雑記帖〜
司馬遼太郎
新潮文庫




2019/8/20
昭和55/5/25 発行
歴史小説に新しい時代を画した司馬遼太郎の発想の源泉は何か? 帝国陸軍が史上初の惨敗を喫したノモンハンの戦いを、太平洋戦争を戦車隊員として戦った自身の体験と重ね合わせながらふりかえり、敗戦に至る壮大な愚行に対する一つの視点を呈示するなど、時代の諸相を映し出す歴史の搏動をとらえつつ、積年のテーマ“権力とは"、“日本人とは"に迫る独自な発想と自在な思索の軌跡。

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故郷忘じがたく候

司馬遼太郎

文春文庫



2013/10/30

1976/7/25 発行
 16世紀末、朝鮮の役で、薩摩軍に日本へ拉致された、数十人の朝鮮の民があった。以来400年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた、その子孫たちの痛哭の詩「故郷忘じがたく候」
 明治初年、少数で奥州に遠征した官軍の悲惨な結末「斬殺」 
 細川ガラシャの薄幸の生涯「胡桃に酒」の3編

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明治という国家
司馬 遼太郎
日本放送出版協会

2010/8/20
平成元年 9/30 発行


手掘り日本史
司馬 遼太郎
集英社文庫

2010/6/20
昭和55年 7/25 発行

“私の書斎には友人たちがいっぱいいる"「夏草の賦」「竜馬がゆく」「峠」など個々のロングセラー作品を手がかりに、歴史を賑わせた英雄・英傑の人間像を甦らせ、更には膨大な資料に貫かれた鋭い史眼と著者独自の発想の原点を解き明す。司馬文学の核心に触れる語り下しエッセイ。

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アームストロング砲

司馬 遼太郎
講談社文庫

2009/12/8
1988/11/15 発行
幕末随一の文明藩、佐賀藩の鍋島閑叟(なぺしまかんそう)は、若い秀才たちに極端な勉学を強いた。近習秀島藤之助は、世界最新の高性能大砲の製造を命じられ、頭脳の限り努力する。酷使された才能は弊れたが、完成したアームストロング砲は、彰義隊を壊滅させ、新時代を開いた。風雲の中に躍動する男たちを描く、傑作九編を収録。

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表題の「アームストロング砲」には、とても驚いた。この時代にこんな先を見ていた人がいたのかと。
日本が外国のものになってしまわなかったのは、こういう人がいろんな場所で国を支えたからかもしれない。


戦国の女たち
傑作短編集

司馬遼太郎
PHP文庫

2009/1/22
2006/3/17 発行


箱根の坂
上・下

司馬遼太郎


講談社文庫





2008/12/25


2004/6/15 発行

 応仁ノ乱で荒れる京都、室町幕府の官吏、伊勢氏一門の末席に、伊勢新九郎、後の北条早雲がいた。家伝の鞍作りに明け暮れる、毒にも薬にもならぬ人間で生涯をことなく送るのが望み、と考えていた。だが、妹分の美しい娘、千萱(ちがや)の出現が、彼の今までの生き方を激変させる契機となり覇者への道を歩み出した。激動する時代と共に自分の生き方を変えてゆく早雲。(上)

 関東制覇をめざして、先ず伊豆を切り取った早雲は、越えがたい箱根の坂を越えて、ついに小田原攻略に成功した。まさにこの時、戦国の幕が切って落されたのである。伝統的教養と近代的領国経営方で関東の覇者となり、治世の理想を実現させ、歴史を変えていった男、北条早雲を描く傑作長編小説完結。(下)

      ※※※※※※※

 北条早雲には、関心があったものの、今まではよく知らなかった。読んでみると早雲の今までのイメージとずいぶん違っていた。野心家で関東一円を統一して回ったのだとばかり思っていたが、中年を過ぎるまで箱根を超えることは無かったし野心も無かった。ただ、駿河を守るためには箱根を越えたところを自分が治めれば駿河が襲われる心配が無いからだった。駿河を守るための関東制覇だったなんて。無欲で、素晴らしい人だ。もし、野心を持って天下統一を考えていたら、日本はどうなっていたのだろう。
 そして太田道灌と尊敬しあっていたというのも以外だった。


殉死

司馬遼太郎

文芸春秋



2006/7/26
 明治天皇の崩御に準じた乃木希典の心の軌跡を追う、司馬氏の思考材料、覚書であって小説ではないという。

 希典の生まれ育った場所は赤穂浪士の一部が切腹した場所で、そのことは少年希典の心になにかを刻んだろうか。
 乃木が長州でなく会津かそれ以外の藩に生まれていれば無名の生涯をおくったにちがいない。軍事の教育も少ししかないにもかかわらず、長州閥のおかげで少佐から始まる。
 初めて連隊長心得に任ぜられた時は、敗走、負傷そして軍旗を奪われた失敗にもかかわらず中佐に進級した。軍旗を奪われたことはいつまでも心の傷になっていたようだ。
 司馬氏は、この将軍が軍事技術者として自分の能力の乏しさを知っていたのかどうか疑問に思っている。
 日露戦争では、第3軍司令官として旅順攻撃をするが、攻撃のまずさで6万人もの死者を出す。
 ただ、同じ長州の児玉源太郎(203高地は乃木に代わって児玉が指揮を取った)は、乃木ほど無能で手のかかる朋輩はないが、人物としては尊敬しているという。
 指揮官としての失敗を自覚するたび、戦場で自殺しかねない乃木の心情。
帝に寵愛され、戦争を智謀と精力的な活動で勝利に導いた児玉よりも希典の劇的なたたずまいを好まれた帝だった。
 乃木にすれば、命を捧げて尽くす帝がいなくなれば生きていく意味がなくなったのだろう。
 T 要塞  U腹を切るということ

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関連本
           

これまでに読んだ作品

書名 内容 読了日
坂の上の雲 


1〜 8 

明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。
この時期を生きた四国松山出身の三人の男達日露戦争に砦いてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長篇小説全八冊
2003/6/19〜
戦争が勃発した・・・。世界を吹き荒れる帝国主義の嵐は、維新からわずか二十数年の小国を根底からゆさぶり、日本は朝鮮をめぐって大国「清」と交戦状態に突入する。陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。
一方正岡子規は胸を病みながらも近代短歌・俳句を確立しようと、旧弊な勢力との対決を決意する。
明治37年二月、日露は先端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ。戦費もろくに調達できぬ生国・・・・・・・・。少将秋山好古の属する第二軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀・少佐真之も堅い砲台群でよろわれた旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。
強靭な旅順要塞の攻撃を担当した第三群は、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流し続けた。一方、ロシアの大艦隊が、東洋に向かってヨーロッパを発航した。これが日本近海に姿を現せば、いま旅順港深く息をひそめている敵艦隊も再び勢いをえるだろう。それはこの国の滅亡を意味する。が、要塞は依然として陥ちない。
作戦の転換が効を奏して、旅順は陥落した。だが兵力の消耗は日々深刻であった。北で警鐘が鳴る。満州の野でかろうじて持ちこたえ冬ごもりしている日本軍に対し、凍てつく大地を轟かせ、ロシアの攻勢が始まった。左翼を守備する秋山好古支隊に巨大な圧力がのしかかった。やせ細った防御陣地は蹂躙され、壊滅の危機が迫った。
2007/6/7
各地の会戦できわどい勝利を得はしたものの日本の戦闘能力は目に見えて衰えていった。補完すべき兵は底をついている。そのとぼしい兵力をかき集めてロシア軍が腰をすえる奉天を包囲撃滅しようと、日本軍は捨て身の大攻撃に転じた。だが、果然、逆襲されて、日本軍は処々で寸断され、時には敗走するという苦境に陥った。 2007/11/24
本日天気晴期ナレドモ浪高シ明治三十八年五月二十七日早朝、日本海の濠気の中にロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現わした。国家の命運を背負って戦艦三笠を先頭に迎撃に向かう連合艦隊。大海戦の火蓋が今切られようとしている。感動の完結篇。 2008/2/22
この国のかたち  5 1997/2/6
梟の城 1997/3/26
十六の話 1996/5/10
この国のかたち 4、5、6 1996/2/8
八人との対話 1996/1/13
草原の記 1995/9/6
歴史と小説  土方歳三、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛…幾多の英傑を輩出した幕末。維新革命に身を投じた、彼ら志士たちの行動力と思想のエネルギーとは何だったか?
 歴史に現代を照射し、冷徹な史観と新鮮な感覚で、躍動する人間像を捉えて、司馬文学の原点にふれるエッセイ集。
1993/8/16
春灯雑記 1992/8/26
韃靼疾風録 上・下 1989/6/14
空海の風景 上・下 1987/9/3
夏草の賦 長宗我部元親 1984/4/14
播磨灘物語 1〜4 黒田官兵衛 1983/6/30
歴史の中の日本  司馬史観という言葉がある。歴史小説の世界に革命的な変化をもたらした著者が、圧倒的に読者をひきつけてやまないものは何か。それを人は司馬史観と呼ぶ。研ぎすまされた歴史観と豊かな創造力は、激動する歴史の流れと、その中に浮沈する多彩な人間像をみごとにとらえ、それをわれわれ現代人自身の問題として明快に解き明かす。
1982/3/12
最後の将軍 1978/8/6
幕末 1978/2/22
関が原 上・中・下 1978/2/14
尻啖え孫市 1974/3/
古往今来  古往今来とは「昔から今まで」の意である。『私は「古往」が単独に存在するのは、にがてである。人間を考える場合、そのひとを成立させている歴史的条件を巨細(こさい)に見、その時代の気分を感じねば、そのひとの心も行動も動いてこないし、さらにはそのひとの人生の価値についての値ぶみも、しようがない。――「今来」のなかにいるよき人を「古往」のなかに置いてひそかに歩かせてみる愉悦はたとえようもない』一あとがきより一

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